歌仙詠物語12
初秋の狩り(光理の章)
変わり果てた死体と、それに宿る傀儡、さらにそれらを操る、仙如と思われる力……
玲陽は犀星と繋がった縄を握りしめ、正面からその相手と対峙した。
生きている人間に傀儡が取り憑いたのなら、玲陽でも会話ができる。
しかし、相手は腐った死体である。
「昨年、白い鹿が殺されたと聞きました。それが、あなたの子供ですか?」
返事はないが、死体は結界にぶつかるようにこちらへこようとする。しかし、玲陽の結界は、内部を守るだけのものではない。傀儡が触れれば、それなりの痛手を追う。ましてや、脆く崩れる寸前の死体では、見るも無惨に砕けて溶けていく。
「何を勘違いしているか知りませんが、私はあなたの子供ではない。可哀想ですが、あなたの子は、すでにこの世にはいない」
ぼちゃ、と左足の肉が結界に触れて崩れ、同時に関節が砕けて、死体はその場に倒れた。だが、宿っているものは消えはしない。
「開将軍は、仙獣とは知らず、討ち取ったのです。彼の魂だけでも、解放してあげて下さい」
傀儡は、残された肉体を結界の外壁に押し付けてくる。すでに、開棟逸の意識はなく、殺された仙如の呪いによってのみ、動いているようだ。
人の魂を喰らう傀儡喰らいならできるが、相手が仙如となると、訳が違う。人間であった玲心でさえ、あれだけの力で自分を支配したのだ。純粋な仙如が相手では、自分が狂うのは目に見えている。
「私を、見つけたと言いましたね」
玲陽は、静かに言った。
「私があなたと共に行けば、この人を見逃して下さいますか?」
すでに原型を止めない肉の塊が、モゾモゾと蠢く。と、周囲に残されていた霧が肉塊に集まり、あっという間に白い牡鹿の姿に変わる。
「私はあなたの子ではない!」
玲陽は、美しい、しかし、決して自分には敵わない力を秘めた白鹿を見つめた。
答えたのかもしれない。だが、玲陽に声は聞こえない。
代わりに、犀星が朦朧とした声で、
「狂ってる……違う……陽は……」
「兄様?」
玲陽は上着を脱ぐと、犀星が体を痛めないよう、体の下に敷いてやる。
どこまで、この鹿に言葉が通じているかわからないが、それでも、玲陽は話しかけ続けた。
「救援の狼煙をあげる時間をください。それが済んだら、あなたと行きます」
「やめろ…… お前を生贄に、我が子を取り戻すつもりだ……」
「動かないで」
玲陽は起きあがろうとする犀星を押しとどめた。
「そうなる前に、必ず、見つけて下さい」
「陽?」
焦燥の見える犀星の目を、玲陽は見つめて、安心させるように微笑んだ。
「あなたの獲物は、私です」
玲陽は素早く狼煙の支度をすると、点火した。これを見つければ、涼景の部下たちが助けに来てくれるはずだ。
「陽、行くな! 行かないで!」
「今は、こうするしかありません」
玲陽は腰を繋いでいた縄を解いた。
「必ず私を見つけて下さい」
「陽! あっ!」
起きあがろうとした犀星の全身を、見えない力が押さえつける。
玲陽は、白鹿を睨みつけた。
「やめなさい! この人に手を出したら、死にます」
陽は懐から匕首を出すと、自分の喉元に突きつけた。覚悟を示すように、切っ先を突き刺し、わずかに血を流す。薄い肌の上に、鮮血が垂れて綾取ってゆく。
「陽……」
犀星がそんな玲陽の姿を苦しそうに見上げた。
「兄様、日暮れまでに、必ず見つけて下さい……」
「無茶をするな……涼景を待て!」
「それこそ、無理です。あなたが殺されてしまう」
玲陽は犀星の頬をひと撫ですると、立ち上がって、白鹿を見据えた。
「参りましょう」
「狼煙?」
最初にその煙に気づいたのは、蓮章だった。
救援を求める、橙色の煙が、西の崖から立ち上っている。
「燕将軍!」
後方から、蓮章は涼景を呼んだ。振り返った涼景の目にも、狼煙が見えた。
「どうした?」
宝順が涼景の厳しい顔を見る。
「救援です。あちらは、歌仙親王殿下が行かれた方角かと。万が一、殿下の身に何か起きたのでしたら、巡回兵には任せておけません」
「では、お前が直接行くといい」
宝順の声は、寛容であるかのようで、同時に、涼景を試しているようでもある。
自分と犀星、どちらを選ぶのか。
「わたくしは……」
「ここでお前を差し向けねば、後から親王に何と罵倒されるか、知れたものではない。行け」
「……はい、陛下」
涼景は蓮章に自分の位置を任せると、煙を追って、単騎、向かう。
「あいつがいたのでは、獣も恐れて逃げてしまうからな」
宝順は、冗談とも本気ともつかぬことを呟き、蓮章をチラリと見る。
近衛隊副長である彼が涼景の不在を埋めるのは当然だが、蓮章には荷が重い。警護そのものを負担に感じるのではない。単純に、もっと明快に、宝順が苦手なだけだ。
よく、こんな男に仕えているな……
蓮章は涼景ほど、従順ではない。もっとも、自分の失態が、そのまま涼景への罰につながることは重々承知しているが、出来るなら、このままここで宝順を切り捨ててしまった方が早い気もする。
蓮章の心を知ってか知らずか、宝順は暗く微笑した。
「星!」
狼煙の火が燃え尽きる頃、涼景は玲陽の狩衣の上に横たわる犀星を見つけ出した。
「おい!」
抱き起こすが、すぐに反応はない。乱れた呼吸を繰り返しているため、生きていることは確かだが、何があったのかはわからない。周りを見回して、涼景は目元を歪めた。
数歩先に、得体の知れない肉の塊が地面にへばりついていた。表面が泡立ち、今にも動き出しそうなその様相に、明らかに特殊な力が働いていることを感じ取る。
涼景は寿魔刀を抜くと、とどめを刺すかのように、肉塊に突き立てた。
人の頭部ほどのその塊は、白い煙をあげて消えていく。
「傀儡が取り憑いていた、ということか」
寿魔刀による変化から、涼景はある程度の状況を察した。
開棟逸の魂が、行方不明者に宿り、彷徨った果ての姿だろう。
だとすれば、棟逸に対して恨みを抱いていると思われる、仙如が関わっている可能性が高い。
そのような切迫した状況だからこそ、弱りきった犀星を残して、玲陽がこの場を離れるような行動に出たのだろう。さもなくば、あの玲陽が、犀星を残していくことなど、考えられなかった。
「涼……景……」
掠れた声で犀星は目を開き、涼景の逞しい腕を掴んで体を引き起こした。
「星、怪我は?」
犀星は黙って首を振った。
「身体は心配ない。ただ、意識が途切れそうで……」
「俺がするべきことを言え」
端的に、涼景は問うた。
「時間がないんだろう?」
犀星は気を失うぎりぎりのところで、踏みとどまっているらしかった。涼景を見つめる目元が痙攣し、呼吸も定まらない。
「玲陽を追う。日が沈む前に見つけなければ、おそらく、手が出せなくなる」
「行き先は?」
犀星は涼景から視線を外すと、虚空を見つめた。感覚を研ぎ、玲陽の気配を探る。どれほど離れていようと、犀星には玲陽の感情がわかる。
「景色が、見える。白い花が咲いている。開けた場所だ。ここより、明るい」
涼景は、空を見上げて、太陽を探した。
「ここより、日当たりがよく、開けた場所…… 白い花?」
「おそらく、夾竹桃だと……」
涼景の表情が動いた。
「心当たりがある」
涼景は犀星に肩を貸すと、玲陽の残していった狩衣を羽織らせた。犀星を支えながら、馬を待たせてある崖を這い上がる。
「昨年、陣営を張った場所だ。夾竹桃の煎じ方を間違えて、腹を壊した者がいたから、よく覚えている」
「あの、鹿……」
「鹿?」
「白い、鹿だと思う…… 俺には見えなかったが、陽を連れて行った。あいつが、仙如の……だから……」
息が絶え絶えになる犀星を介抱し、涼景は、ため息をついた。
「無駄だと思うが、一応言っておく。お前は大人しく待っていた方がいい」
「急いでくれ。俺の馬はその向こうの茂みだ」
「……わかった」