top of page

歌仙詠物語12
初秋の狩り(伯華​の章

 乾いた金属のぶつかり合う音が、犀星の屋敷の庭に響いていた。​

 夕刻近く、仕事を終えて、屋敷に戻ってきた犀星と玲陽は、何が起きているかに気づいて慌てて庭に駆け込んだ。

「東雨!」

「凛どの!」

 案の定、若い二人が真剣を手に、汗を浮かべて打ち合いをしている真っ最中だ。

「やめろ! 稽古に真剣を使うな、と言っているだろ!」

 犀星が身軽に二人の隙をついて、割って入る。玲陽はやれやれ、と首を振った。

「若様、お止めにならないで下さい! 今日は、何がなんでも一本取らなきゃ気がすみません!」

「私を武術で負かそうなんて、一千年早いのよ」

 凛は余裕を見せて、不敵に笑う。

 犀星と玲陽は目配せすると、頷き合った。

「御免!」

 玲陽が太刀を抜いて、凛に切りかかる。

「陽兄様!」

 その一撃を寸でのところでかわし、凛は後ろに飛び退いた。身軽さはかなりのものである。それを見て、東雨が一笑する。

「なんだ、口ほどにもない……うわ!

「よそ見をするな!」

 犀星が同じく東雨に刀の切っ先を突きつける。

「わ、若様!」

「そんなに稽古がしたいなら」

「私たちが相手です」

「そんなの、無理に決まってるじゃない!」

「問答無用!」

 玲陽の大太刀が容赦なく凛を狙う。勿論、傷つける意図はないが、紙一重のところを刃が的確に切り裂く。

「どうした、東雨! 打ってこい!」

 犀星も尻込みした東雨をけしかける。

「若様に敵うわけなんて…… うわ!」

 素早い動きで、続けざまに打ち込んでくる犀星に、東雨はなすすべもない。完全に戦意を喪失している。

「凛どの、体幹がぶれてますよ!」

 玲陽は大太刀の重量を生かしての重たい一撃で、凛の剣を弾き飛ばした。

「どうした、降参か?」

 尻もちをついて、刀を投げ出し、腕で顔を庇って縮こまる東雨の眉間に、犀星は鋭い切っ先をピタリと当てたまま、静止した。これが実際の戦闘なら、東雨の命はない。

「もう、酷いじゃないですか!」

 東雨が涙混じりに叫んだ。

「お前たちが、危険なことをしているからだ」

「稽古をしてもいいですが、竹を使うように、と言っているでしょう?」

 犀星と玲陽が剣を鞘におさめる。その瞬間を狙っていたかのように、東雨と凛が同時に二人に素手で飛びかかった。玲陽が犀星を狙った東雨の腹へ拳を、犀星が玲陽を狙った凛の首の後ろに手刀を入れる。若い二人の不意打ちは、完全に見抜かれていた。

 東雨と凛は土の上に転がると、それぞれに痛みにうめいた。

「油断しすぎだ。そんな心構えで真剣を使うな」

「だ、だって……」

 東雨が声を絞り出す。

「お二人だって、稽古の時は真剣を使うじゃないですか……」

「俺たちはいいんだ」

 犀星が堂々と、

「互いに切り殺されても、後悔はない」

「あなたたちに、その覚悟がありますか?」

 東雨と凛は顔を見合わせ、互いに嫌そうにそむけた。こんな相手に殺されるなど、納得できない、という顔である。

「随分、大人気ないことをしているな」

 残暑のためか、ゆるい着流し姿で裏木戸から、涼景が入ってくる。

「涼景様!」

 嬉しそうに駆け寄った東雨の脇腹に、素早い涼景の回し蹴りが決まる。

 横っ飛びに吹っ飛ばされて、東雨はしたたかに地面に叩きつけられた。

「うぐ…… ひ、酷いじゃないですか……」

「油断するからだ」

「だって……」

 と、東雨はうめきながら体を起こす。

「大の大人が寄ってたかって若い者をなぶるなんて…… それでも、兄様たちは人ですか! 鬼! 蛇! 馬に蹴られちゃえ!」

 凛が頬を膨らませて、怒鳴った。

「酷い言われようですね」

 玲陽が苦笑する。

「だいたい、涼景様!」

 と、凛の怒りの矛先は、なぜかいつも、最後には涼景に向かう。

「この前、ご実家に帰ったのはいつです?」

「さぁ。ここ一年ほど戻っていないが……」

「まぁ! よく平気ですね! 春ちゃんが可愛そう過ぎます!」

「ああ、まぁ……そのうち……」

「そうやって誤魔化して!」

 春と同い年の凛は、涼景にとって、少々扱いづらい相手である。性格はまるで違うが、どうしても妹のことを思い出してしまう。

「それより、悪い知らせだ」

「涼景様! 私の話はまだ終わっていません!」

「じゃあ、東雨相手にでも話しておいてくれ。後で聞くから」

「涼景様!」

 追いすがる凛に、さしもの涼景も情けなさそうな顔をする。

 春の話をされるのは、涼景にとって最も複雑な心境だ。

「わかった、年内に一度帰る。それでいいか」

「約束ですよ! 破ったら、その目玉をくり抜いてやるんだから!」

 睨みをきかせる凛の目は本気である。

「わかった……」

 涼景は観念した。どうやら、天下無双の暁将軍の弱点は、十六歳の少女だったらしい。

「陽、お前の妹、お前そっくりで、末恐ろしいな」

「涼景様、それは違います」

 玲陽がにっこりと笑って、

「凛どのは、私より、怖いですよ」

「陽兄様!」

 今度は玲陽に食ってかかる凛をなだめながら、犀星は涼景を振り返った。

「悪い知らせ、って?」

 涼景は縁台に腰を下ろすと、面倒臭そうに顔を歪めた。

「帝が狩猟祭を催すそうだ」

「狩猟祭?」

 玲陽が首を傾げる。

「ああ。冬の間の食糧を備蓄する意味も兼ねて、宮中の腕のたつ者で山に入る。そこで、鹿や猪などを仕留め、その数を競う……まぁ、宮廷人の娯楽だな」

「確かに、冬の食糧確保は重要だけど」

 凛は兄に弾き飛ばされた剣を拾い上げた。柄から、見事に砕けている。

「それを、お祭り気分でやるなんて、吐き気がするわ。動物の肉は、もっと大切にするべきよ」

「凛どのは、人間以外には優しいですから」

「俺にも優しくしてくれたらいいのに……」

「涼景様がもっと春ちゃんを大切にしてくれたら、考えます」

 話を蒸し返されて、涼景は、しまった、と口を結ぶ。

「毎年、やってますよね」

 東雨が例年の記憶を辿った。

「確か、昨年の優勝者は、当時の左将軍、開棟逸(かいとういつ)」

「当時の、って、今は何やってんの、その人」

 凛はばらばらになった刀身を拾い集めながら尋ねた。

「死んだ」

「え?」

 東雨は体のあちこちと痛むところを撫でながら、

「狩猟祭の三日後、急に熱を出して、二日も持たずに死んだって」

「病気?」

「なら、いいけど……」

「いや、よくはないだろう……まぁ、その方がましか」

 涼景は妙な納得の仕方をする。

 犀星と玲陽は互いの顔を見た。

「俺は、昨年は参加していないんだ」

 犀星が思い出したくない、というように呟く。

「あの頃、俺の記憶は曖昧で……」

「星は、ちょうど、心を病んでいた時期だったからな。陽、お前に会いたくて、限界だった」

 と、涼景は玲陽を見る。犀星が歌仙に玲陽を迎えにいく、一月ほど前のことである。

「だが、今思うと、若様が参加しなかったのは良かったのかもしれません」

 東雨が真面目そうに、

「もし、開将軍の死が、傀儡とか、祟りとか、そういうものと関係してたのなら、何も知らない若様がその場に居なかったのは不幸中の幸いです」

「確かあの時、棟逸は獲物として、白い鹿を仕留めたことで、優勝を確実にしたんだ」

「白い鹿、ですか」

 玲陽と凛が視線を交わす。

「玲家では、白い毛並みの獣には、決して手を出さないように、と、昔から言われています。兎でさえ、冬毛の時には捕らえることはしません。もしかすると、その方が捕らえたのは、鹿じゃなかったのかもしれませんね」

「だったら、何だっていうんです?」

「鈍いわねぇ」

 首を傾げた東雨に、すかさず凛が

「仙獣だったかもしれない、って言ってるの」

「仙獣? 何だよ、それ」

「全く、何も知らないんだから、馬鹿東雨」

「お前は妙なことばかり知っていて、礼儀作法も常識も知らないだろ!」

「あら、これでも一通り学んでいますわ」

「だったら、よっぽど物覚えが悪いんだな」

「何よ!」

「何だよ!」

「いいから、お前たち、少し静かにしていてくれないか。そうだ、涼景、今夜は泊まっていくだろ。二人とも、酒と夕餉の支度をしてくれ」

「今からですか?」

「手の込んだものをたまには作ってみてください。凛どの、東雨どのに、歌仙の客膳料理を教えて差し上げて」

「いいですけど、買い出しから始めないと」

「ほら」

 犀星がため息をついて、凛に金子の入った巾着を渡す。

「ついでに、飴でも饅頭でも食ってこい」

「やった! 行くぞ、凛!」

「ちょっと! 何を買うかも知らないくせに!」

 体よく、二人を追い払うと、犀星と玲陽は揃って、縁台に座り込んだ。

「疲れる……」

「兄様に、子供の世話は無理ですね」

「俺はもっと、行儀のいい子供だったぞ」

「そうとは思えませんが」

 恨めし気に幼馴染を見て、犀星は苦笑した。

「でも、凛どのが言っていたこと、もしかすると、真実かもしれません」

「仙獣を殺した祟り、ってことか?」

 涼景が確かめる。玲陽は頷いた。

「何の証拠もありませんけど、その可能性も」

「そいつは厄介だな」

「どうしてだ?」

 難しい顔をしている涼景に、犀星が問いかける。

「宝順のやつ……いや、皇帝陛下が、その白鹿をえらく気に入ってな。今年は白い猪を所望している」

「馬鹿ですか」

 思わず呟かれた玲陽の一言に、犀星も涼景も思わず吹き出した。おとなしそうに見えて、玲陽には時折、毒舌が出ることがある。さすがは、あの凛の兄だ。

「その狩猟祭、兄様も涼景様も参加しないといけないのですか?」

「まぁ、そうなるな」

 気が重そうに涼景は言った。

「俺はまだ、陛下の身辺警護だから良いが、星は狩の参加者ということになる。お前、野山の狩は得意だったよな」

「そりゃ、歌仙ではそうやって生きてきたから。宮廷人の遊びじゃなくて、こっちは生活がかかってた」

「兄様とよく、二人で鹿を追いましたね」

「……待て、それって、お前たち、まだ子供の頃だよな」

「確か……十歳を過ぎてから、ようやく俺たちだけで山に入ることを許されたんだ」

「十歳の子供が二人で鹿を仕留めてたのか?」

「陽は強弓が引けたから、俺が追い出して、陽が喉元を狙って……」

「狙いを外して、兄様を仕留めそうになったこともありましたけど」

「……俺は都育ちで、良かったと思う。歌仙にいたら、絶対にお前たちに巻き込まれていただろ」

「楽しかったですよ」

 玲陽は懐かしそうに、庭の曼珠沙華の蕾を眺めた

「自分の手で、命を奪う。それがどれだけ重たいか、そうして得た糧は、残さず大切にしたものです」

「そんなお前たちからしたら、単に数や獲物の大きさ、珍しさを競う狩猟祭など、参加するのも馬鹿らしいだろうな」

「馬鹿らしいというより……」

 犀星は、考えに沈んで、

「獣に失礼だ」

「星……」

「涼景、何か理由をつけて断れないか?」

「そうだな……また、気鬱になるか?」

「病気は駄目ですよ」

 玲陽が首を振った。

「この前、兄様が軽い風邪で出仕を休んだ時、宮廷のご婦人たちが十人以上、ここまで訪ねてきたんです。お見舞いだ、ということでしたが、その対応が大変で大変で……」

「陽、中には、お前が目当ての女もいたぞ。俺が伏せったのにかこつけて、お前に会いにきていた奴ら」

 犀星は諦めたように、

「仕方がない。取り敢えず参加だけして、俺たちは山菜や果実でも摘んでいよう。あの山は宝庫だから」

……俺たち……って、やっぱり、私も行くんですね」

「当たり前だろ。万が一、その仙獣ってのが出たら、周囲から隠さないといけない。俺一人では無理だ」

「でも……当然、帝も行くのですよね」

「心配するな」

 涼景が玲陽の肩を叩く。

「宝順は俺が押さえておく。お前には近づけない」

「……わかりました」

 玲陽も観念する。

「しかし、本当に仙獣だとすると、かなり厄介です」

「そもそも、その仙獣ってのは何なんだ?」

「元々は、仙如(せんにょ・仙境に住む者)が、地上に降り立った時に、獣に姿を変えたものだ、と言われています。簡単に言えば、神様みたいなものです」

「神?」

「ええ。ですから、その白鹿を仕留めた方は、神殺しということになって……多分、今でも魂が山を彷徨っていると思います」

 涼景と犀星の表情が、さらに落ち込む。

「傀儡となって、か?」

「はい、兄様。ですから、私たちは、獣ではなく、傀儡狩りをするために行かなくては」

「確かに、あの山は今年に入ってから行方不明になる者が多い。関係があるかもしれないな」

 涼景がさらに追い討ちをかける。考え込んでいた犀星が、玲陽に、

「陽、ここにいて、女を追い払うのと、山に入って傀儡を喰らうのと、どっちがいい?」

「山に行きましょう」

 玲陽は即答した。

「お前ら……」

 涼景は苦笑いするしかなかった。

 自分や東雨、凛との接し方を見ていると忘れがちになるのだが、この二人は根っからの人付き合いが苦手な性格だ。彼らには、宮中の見目麗しい婦人たちより、傀儡の方がまし、らしい。

 どちらにせよ、涼景はこの二人を守るのが、自分の役目だと心得ている。こちらも本来、守るべき相手は帝のはずなのだが……

鹿ぞ鳴く

隠れ蓑なる

彩葉あり

我が子恋しと

鹿ぞ鳴く

(​伯華)

 

 その夜、犀星は不思議な夢を見た。

 自分が一頭の鹿になり、野山を駆け回る夢だ。自分には子供がいるのだが、どこを探しても姿が見えず、闇雲に走り回るうちに、疲れて動けなくなる。見上げた空一面に木々の色づいた葉が茂り、風にゆっくりと揺れていた。

 突然、大きな悲しみが心を満たし、犀星は目を覚ました。

 しばらくぼんやりしてから寝返りを打つと、そこには玲陽の静かな寝顔があった。金色の髪が、月明かりで白く美しく波打っている。

​「白い毛並みの獣は仙境からの旅人、か……」

 犀星は、自分に顔を向けて眠る玲陽の髪に触れた。

「それが本当なら、お前もいつか、仙境へ帰ってしまうのか?」

 夢の中で感じた寂しさが、現実のものとなって、犀星の胸を締め付けた。

 たまらなく辛く、犀星は玲陽の首に腕を回すと、自分の方へ抱き寄せる。

「ん……兄様?」

「何でもない。抱きたかっただけ」

「泣いているのですか?」

「いや……」

「声が……」

「何でもない」

 犀星は玲陽の首筋に顔を埋めて、目を閉じた。

 放さない。放すものか。二度と、手放したりするものか!

 やはり、泣いている。

 玲陽は犀星の背中に腕をかけて、優しく撫でた。

「大丈夫。私は、どこにも行ったりしませんよ」

「陽……俺も連れていけ。お前と一緒なら、どこだっていい」

「はい」

 情けないほど甘えてくる犀星を、玲陽はまどろみながら受け止めた。​

bottom of page