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歌仙詠物語6
夏の蛍光

 夏の盛りを前にして、都の東、一里ほどの場所にある煙示城(えんじぎ)は、にわかに活気付く。

 夏至に行われる夏祭り、招栄祭(しょうえいさい)に向けて、大規模な花火大会が行われるため、その準備が始まるのである。

 普段は、砲弾を相手にしている職人たちが隅へと追いやられ、国中から花火師たちが集う、二ヶ月の始まりである。ここで名をあげることは、皇帝のお墨付きを得るばかりか、多額の褒賞と、これから一年間の宮廷花火師としての契約を取り付けることにつながる。また、その門下も、地方で仕事が多数舞い込み、一気に一門が出世する好機なのである。

 毎年、多くの花火師が腕を競い合う一大行事であり、都の人々にとっても、大きな楽しみの一つとなっている。

 宮中行事は多いものの、庶民が楽しめるものは、この招栄祭と、春の豊作を祈願する潤録祭に限られる。

 これらの祭りは、地方と都の人の出入りを活発化させ、経済的、文化的に意味があるものの、同時に、軍部の悩みの種でもあった。

 花火師の中には、気性の荒い者も多い。また、それらの周囲には、漁夫の利を狙うごろつきの類が群がっている。人の集まるところに、犯罪も集まるのが、世の常である。

 普段は軍部が出入りするだけの、簡素な煙示城の周囲には、簡易的に宿場や飲み屋、娼館が建てられ、一気に賑やかになる。都との距離も近いため、当然、人の往来も増え、煙示城と同時に都の警護も厳重になる。

 暁将軍・燕涼景が、夏が嫌いだ、と嘆息する一番の理由は、このためである。

 涼景の立場は、正式には近衛隊右将軍とされ、皇帝や、その親族の警備が中心である。だが、軍を率いて各地を巡る大環将軍(たいかんしょうぐん)たちが不在の上、都の警護を中心に行う城中局(じょうちゅうきょく)が人手不足となっており、城中局長官の嘆願によって、都合よく涼景が煙示城警護特兄(この時期にのみ置かれる臨時職)を命じられた、という流れであった。

 毎年、毎年、かなわないな。

 と、夜遅くまで警備計画に目を通しながら、涼景は自分の邸宅の一室でため息をついた。

 暁将軍というのは、彼の通り名であり、実際には、近衛隊右将軍、大環将軍、城中局特任長を兼ねるという多忙ぶりなのだ。そこに今回、煙示城まで任されたとあっては、いかに敏腕の燕将軍といえども時間的に限界がある。

 近衛の方は、左将軍に任せるとして、一時的に放免を頂戴したものの、正直なところ、釣り合わない仕事量である。

 祭りの直後には、西北部への大環将軍としての出陣も控えている。

 城中局特任長として、都の警備の総責任者でもある。

 そこに、荒くれ者が集まる煙示城が加われば、身体も時間も、いくらあっても足りない。

 優秀な部下たちはいるが、彼らとて生活があり、家族がいる。

 手足のようにこき使うことは、涼景の主義に反した。

 そう考えると、どうしても自分自身が文字通り、現地を視察し、ことを治めなければならない。

 彼が特に都や煙示城などの庶民に直結する部署を任されるのは、民衆からの人気が高いという理由がある。何かと宮中の管理や貴人に恨みを抱きやすい庶民も、金銭や個人の欲得で動かない涼景の人柄には一目置いている。

 そんな多忙な彼を、さらに追い詰める者がいるとしたら、さすがの涼景でも投げ出したくなって当然だろう。

 彼は、昼間届いた、犀星からの書状を思い出した。

 玲陽に、煙示城の花火作りを見せてやりたいから、護衛を頼みたい、というのである。

『勝手に行け』

 涼景はすぐに書状の裏に返事を書いて、届けに来た東雨に押しつけたのだ。

「……とはいえ」

 と、彼は独り言を漏らした。

「あれでも、一応、皇族だからな……」

 歌仙親王と、その従兄弟(今は義理の弟になる)を、あの混沌の渦のような煙示城に放り込むわけにもいくまい。犀星はともかく、世間知らずの玲陽が、どこで何に騙されるか、わかったものではない。玲陽の身に何かあれば、自ずと犀星が問題を大きくし、結果的に自分が後始末をする羽目になる。

 もう、何度も繰り返してきた展開だ。

 かといって、近衛隊左将軍・琳戒に任せるのも難しい。万が一、玲陽の傀儡がらみの問題が生じたとき、彼では対応できないだろう。

 結局、縁は切れないってことか。

 涼景は新しく紙を用意すると、あらためて正式な警護受領と日時の返答を書き、決して(ここが、最も大きな文字で朱書きしたのだが)勝手に出歩くことがないように、と、昼間とは真逆の内容の手紙をしたためた。

 急ぎ、家の者に手紙を届けるよう預けてから、再び、煙示城の地図を開いたまま、その夜は更けていった。

 二日後、ようやく半日の都合をつけた涼景は、犀星たちの邸宅を訪ねた。

 煙示城の視察を兼ねて案内するという名目だ。そうでもしなければ、今の彼には庭の花に水をやる時間すらない。

「遅かったな」

 すっかり準備して、馬を慣らしていた犀星に反して、玲陽は申し訳なさそうに顔を上げた。

「すみません、お忙しいのに、わがままを聞いてくださって」

「いや」

 涼景はすっかり、皇族を無視して、玲陽に会釈する。

​「どうせ、星が言い出したんだろう?」

「それがわかっていながら、なぜ断った?」

「それがわかっていたからだ」

「俺の頼みは聞けないってことか?」

「危険すぎる。今の煙示城を親王がうろついていいと思っているのか?」

「危険だからこそ、お前に頼んだんだ」

 言われて、涼景は思わず言葉に詰まった。これは最高の褒め言葉なのだが、犀星はにこりともせずに言う​。どうも、ありがたみに欠ける、と言うものだ。

 ちら、と玲陽を見る。すっかり困って、玲陽は視線が定まらない。

「陽、花火づくり、見てみたいか?」

「え?」

 直接、涼景は玲陽本人に尋ねた。パッと一瞬、玲陽の表情が明るくなる。が、慌てたようにその顔を伏せる。反して、涼景は口元に笑みを浮かべた。

「行こう! 絶対に俺から離れるな」

 結局、二人に甘い涼景なのだ。

 三騎は途中で涼景の部下と合流し、煙示城へ向かった。

 往来する人々に踏み固められて自然とできた道の他に、大砲を運ぶために整備された石畳の専用道がある。当然、庶民は立ち入れないが、涼景が一緒ならば問題はない。初夏の日差しが傾きかけた時分、彼らは煙示城の裏手にある、煙示城閣の門を潜った。本来は、こちらが正門となる。あくまでもここは、戦のための火薬庫なのだ。

 用意していた資料とともに、涼景は部下たちに見回りの順路を指示していく。自分もそのうちの一つに向かう予定である。決して、命令だけ下して高みの見物をしないのが、涼景のやり方だった。それでも混乱が起きないよう、指示系統は普段から強化してある。

 公務にあたる涼景の手腕を久しぶりに眺めて、犀星は満足そうだった。彼の親友は、相変わらずだ。いや、その腕は月日を追うごとに上がっている。犀星としては、我がことのように誇らしかった。

「星兄様」

 玲陽が馬を寄せてくる。

「涼景様は、本当に素晴らしい方ですね」

「だろう?」

 なぜか、犀星が自慢げに言う。

「俺が都で得た、たった一人の友だ」

「わかります。兄様、とても嬉しそうですから」

 見抜かれて、犀星は玲陽に微笑んだ。

 犀星が本心から笑みを見せる相手は、玲陽だけだ。

 部下への指示を終えた涼景が馬の首を返したとき、偶然、犀星と玲陽の微笑み合う姿が目に入った。

 来て良かった。

 どんなに疲れていようとも、大切な友が幸せに微笑んでいるのだから、それに勝るものはない。

 だが、同時に、自分にかかる責任の重さも痛感する。

 この二人だけは、何があろうと守り抜かねばならない。この笑顔を、決して絶やしてはならない。

 犀遠に託された想いが、涼景の心を奮い立たせる。

身を焦がし

燃ゆる命と

なりぬれど

悔やむことなし

我の道ゆく

(仙水)

 繁華街は見栄えはするが、実際には都と変わりはない。都に店を出している連中が、ここにも仮店舗を建てて営業しているところがほとんどである。

 花火師たちが仕事をするのは、煙示城閣の裏手に設けられた、特設区だ。火薬を扱える場所や量は厳しく定められており、事故につながることがないよう、区画分けは厳重だった。

 この区画を巡回するということは、いつ、暴発に見舞われてもおかしくない危険性を伴う。

 もちろん、花火師たちは熟練の腕を持つ者ばかりだが、それでも、数年に一度は悲劇的な事故が起きている。

 涼景が敢えて自らこの区画の巡回役を買うのも、そのような事情があってのことだ。本来なら、このような場所に犀星たちを連れてきたくはなかったが、玲陽の気持ちを思うと、我が身を盾に守る覚悟を決めた、というところだろう。

 十年もの間、あの牢獄に幽閉されていた玲陽には、外の世界は見るもの全てが新鮮で、驚きに満ち溢れていた。それに加え、元々物事の飲み込みが早く、賢い玲陽である。一度見聞きすれば、大概の事は覚えてしまうし、書物も一読で暗唱できるほどの天才肌だ。瞬く間に犀星や涼景と同等の知識を得たものの、それは所詮書物からのものであり、実際に目にしたわけではない。今、玲陽に必要なのは、知識に追いつくだけの経験だった。だからこそ、犀星も無理を承知で涼景に託したのである。

 玲陽の知識欲はあらゆる方面に及んだ。

 花火作りを見学することが、これからの彼の人生にどのように役立つのかは知れないが(むしろ、あまり役立たないのではないかとさえ思われるのだが)、それでも興味を持ったものに触れさせてやろうというのが、犀星の考えである。

 玲陽はその性格から、自分から望みを口にすることはほとんどない。周囲に遠慮する癖は、都に来てからも抜けなかった。そのため、犀星が先回りして、あれこれと段取りをつける。

 過保護にも程がある、と涼景は思っていたが、どうやら自分も同類らしい。

 玲陽の魅力とは、そんな言葉では説明のつかない、特殊なものであった。

 涼景を中心に、三騎は並んで花火師たちの区画に入った。

 区画、とはいっても、草を刈り取って地面を土で覆い、万が一の時の延焼を抑えるために整備された更地である。

そこに何箇所か石杭を立て、それを目印に、それぞれの花火師の一門が自分達の作業場を構えていた。

 石造りの道具が多く、火薬を生成するための石や麻紐、荒く織った布などが積み上げられている。

「打ち上げ花火は、見たことがあるのか?」

 涼景に問われて、玲陽は首を横に振った。

「絵巻物を見ただけです」

「確かに、歌仙じゃ花火なんてないからな」

「俺も、都に来てから初めて見た」

 犀星が続ける。

「陽に、見せてやりたいって思ってた」

 目に入る全てのものを、玲陽と共有したい。

 陽様狂いが始まった、と最近では東雨にまで呆れられている犀星だ。

 だが、犀星のそのひたむきな想いは、しっかりと玲陽にも伝わっている。少しでも犀星の力になろうと、玲陽は玲陽なりに必死だった。危険を承知で、官吏試験を受けて宮中入りしたのも、そのためである。

 三人の姿を見つけると、花火師たちは皆、揃って頭を下げた。犀星や玲陽のことは知らなくとも、涼景を知らない者はここにはいない。そして、涼景が知らない者も、存在しない。涼景は仕事の邪魔にならぬよう、手短に名を呼んで挨拶を交わすだけで、区画を過ぎてゆく。玲陽はきょろきょろしながら、彼らの仕事の断片を観察していた。

 火薬や金属の配合の割合や方法は流派によって異なるが、基本的な製造方法は共通している。いくつもの途中過程を見るうちに、玲陽の頭の中で、それらがつなぎ合わされ、一連の花火作りの過程が出来上がっていく。元々書物から得ていた情報と重ね、書いてあった事柄を、実際に見て納得していくようだ。

 犀星は、というと、正直、花火作りはどうでも良かった。むしろ、玲陽に危険が及ばぬよう、涼景が職人たちと話している間、周囲への注意を怠らない。本来なら、親王が労いの言葉をかけ、護衛が周囲を監視するのだろうが、完全に逆転している。犀星への護衛役としての信頼も含めて、涼景は今回の見学を承知したのだ。何も言われずとも、犀星にも自分の役割がわかっている。

「この先に、いつも良い花火を作る熟練工がいる。彼に、詳しい説明を頼もう」

 涼景は顔を上げると、角の区画を示した。

「太在(たいざい)と言って、いつも二番手だが、腕は確かだ」

「今年の宮廷花火師は公山(こうざん)じゃなかったか?」

「彼は確かに腕はいいが、性格がな……」

 涼景は苦笑いする。

「喧嘩っ早くて、いつも問題を起こしてくれる。今年はまだ大人しくしているようだが……」

 と、涼景が紹介している最中に、行手から男の怒鳴り声が聞こえてくる。

「始まったか……」

 やれやれ、と涼景は首を振った。

「星、陽を頼むぞ。俺が相手をする。巻き込まれるなよ」

「ああ」

 よくよく考えれば、最も守るべき相手は親王である犀星なのだが、ここでも三人の奇妙な常識が成り立っている。

「何事だ!」

 涼景は馬を急かして、声のした方へ駆けつけた。

 石の杭を挟んで、強面の男が、地べたに転んだままの少年を怒鳴りつけていた。十歳ばかりのその少年は、いかにも花火師の息子らしく、火薬の染み付いた服を纏っていた。

「どうせ、天青石が目当てで忍び込んだんだろ!」

「待て、公山!」

 涼景が割って入る。

「暁の大将か。悪いが口出し無しだ。こいつは俺たちの問題だ」

「相手は子供じゃないか」

「だからどうだってんだ。盗人は盗人だ!」

 涼景は馬を降りると、少年を助け起こそうとして、はたと手を止めた。少年は、右脚の腿から下が欠損している。

 少年から少し離れたところに、彼が使っていたものだろう、布を巻きつけた棒切れが落ちている。

「あ」

 犀星が止めるより早く、玲陽は馬から飛び降り、それを拾うと、少年に渡した。

「あ、ありがと」

 涼景と玲陽の助けを借りて、少年は立ち上がった。追いついてきた犀星に少年を預けると、涼景は石杭に手を置いて、改めて公山に向いた。

「この少年が天青石を盗んだというんだな?」

「ああ。そいつが俺の区画へ忍び込んで、鉱石庫を漁っていたんだ。確かに袖の中に隠すのを見た」

「なるほど​」

 涼景は向き直ると、少年の服を改めた。

 拳大の石が二つ、確かにそこに隠されていた。

「それみろ。そいつは盗人だ!」

「これは、確かに公山のところから、お前が持ち出したものか?」

 涼景の顔をちらりと見て、少年は頷いた。

「証拠はある。自白も取れた。この子は盗人として俺が連行する」

 石を公山に押し付けると、涼景は尚も何かいいたそうに口を開いた公山に、

「それでいいな」

 と、念を押した。物腰は柔らかいが、有無を言わせぬ迫力がある。涼景は、決して温和なだけの男ではなかった。時と場合によっては、荒事も手がける無頼漢でもある。

 公山は、不服そうに、へい、と頷いて、自分の区画の作業場へ戻っていった。

「大丈夫ですよ」

 玲陽は少年より視線を下げるために膝をついた。

「悪いようにはしません。あなたにも、それなりの事情があったのでしょう?」

 玲陽に沙汰の権利はないのだが、涼景の気性を考えれば、酌量してくれるであろう自信があった。

 少年は、黄金色をした玲陽の髪と瞳を見ても、怖がらなかった。犀星がそっと少年の目の前に手をかざしたが、微かに首を傾げただけで、反応が薄い。

 犀星が指を鳴らすと、びくん、と少年は驚いたように震えた。

 耳は聞こえているが、視力は弱いようだ。

「お前、太拓(たいたく)か?」

 思い出した様に、涼景が問う。少年は頷いた。

「暁の大将様?」

「ああ」

 涼景は少年の体を手探りで確かめた。酷く痩せて、背が曲がっている。

「何があった? 一年前はあんなに元気だったろう?」

 太拓は涼景の脚にすがりついた。

「父ちゃんが殺されるんだ!」

「太在が?」

「爆発……怪我……奥様……父ちゃん……」

 どうにか伝えようとしているが、太拓はガタガタと震えて文章にならない。

 涼景は、犀星と玲陽を見た。二人は同時に頷いた。

 煙示城閣の一室で、犀星と玲陽、そして太拓は大人しく待っていた。

 あくまでも、涼景は仕事でここへ来ているのであり、巡回を終えないことには都にも帰ることはできない。

 あの区画の巡回は、揉め事を片づけながら進めているようで、夕刻までかかるだろう。自分達が同行して、更なる問題が起きても申し訳ないから、と、二人は先に太拓を連れて煙示城閣へ戻っていた。

 泣きじゃくってどうしようもない太拓を、玲陽が膝に抱いて慰める。そのうちに、泣き疲れて眠ってしまう少年を、困ったように犀星は眺めた。

「お前の膝は、俺だけの寝床なんだが」

「少しだけ、貸してあげて下さい」

 玲陽は犀星の情けなく大人気ない嫉妬を、さらりとかわした。

 もちろん、犀星とて本気で言っているわけではない(はずであるが)。

 太拓の的を得ない話をどうにか整理すると、状況がある程度見えてきた。

​ 昨年の花火大会の後、故郷に戻った太拓の父、太在は、二番手とはいえ、立派に報奨を得た腕を買われて、その地の名家に呼ばれた。家の主人から、妻の誕生祝いのために、盛大に花火を打ち上げてほしい、との依頼だった。宮廷花火師ではなくとも、名が通ればそれなりに収入が得られる。太在は持てる技術をおおいに奮って、見事な花火を打ち上げて見せた。満足した主人からの褒美と、それを見にきていた他の名家からの依頼とで、太在の一門は忙しく広域を駆け回っては、仕事に励んだ。

 太拓も、父の技術を学ぶべく、それについて回った。

 しかし、いくら熟練の技を持ち、経験豊富であるとはいえ、事故は突然起きるものだ。

 太在の指示を誤って解釈した太拓は、必要以上の火薬と、導火線の種類を誤った花火を仕上げてしまった。

 しかもそれは、自分達が点火するものではなく、物好きな地方貴族が、自分で打ち上げたい、と言い出したものであった。

 打ち上げの直前、間違いに気づいた太在は、慌てて制止を叫んだ。だが、僅かの差で主人が導火線に火をつける瞬間に間に合わなかった。

 やり方を教えるために主人の近くにいた太拓が、父の叫び声を聞いて慌てて消火に走ったが、火の速度が速く、追いつくと同時に花火玉の爆発に巻き込まれた。

 本来、上空へと上がるはずだった花火玉を込めた筒が傾き、運悪く見守っていたその家の奥方が、顔に酷い火傷を負い、太拓は右脚の腿から下と、視力のほとんどを失った。

 家の主人が激怒したのは言うまでもない。

 しかも、悪いことは続き、太拓はどうにか命は取り留めたものの、目に残った後遺症で花火師の道は断たれた。

 さらに、顔の火傷を嘆いた奥方は、傷が癒えるより先に、首を吊って自害してしまった。

 太在は、主人に訴えられ、責任をとって遠島を命じられた。

 文字通り、太在の一門は離散し、悲惨な末路を辿ったのである。

 ただ一つ、ここで妙な横槍が入ることになる。

 本来なら、この大会に参加することなどできないはずの太在が、なぜここにいるのか。

 それは、宝順の計らいであった。

 宝順は花火に興味はなかったが、宮中の女たちがやたらと騒ぐものだから、彼女たちを黙らせるために、毎年、この行事を続けている。その中で、妾の何人かが、公山よりも太在の花火を好んでおり、彼女たちが許しを与える機会を設けるよう、宝順に願い出たらしい。

 帝にとっては、決して情けなどではなく、ただの暇つぶしの賭けのつもりなのだろう。

 宝順は太在に、今年の大会で宮廷花火師に選ばれれば、罪を許すとの話を持ちかけた。

 地方とはいえ、事故とはいえ、貴人の奥方を死に追いやった罪を消してやる、と言うのである。

 当然、奥方を失った家からは、抗議の書状が届けられた。だが、奇妙なことは重なるもので、その三日後、くだんの貴人の邸宅は火災により消失、主人は家人もろとも、亡くなった。それを知った太在は、罪の意識から、今回の大会を棄権しようとしているという。だが、そのようなことをすれば、帝の温情を無視したとして、今度は太在が命を奪われかねない。

 仲間の花火師たちから、父の置かれている状況を聞いた太拓は、せめて、貴重な石を手に入れるくらいしか、思いつかなかったのだろう。

 自分の目が見えたなら、父の代わりに花火作りを買って出るところだが、不自由な体ではそれもままならない。当の太在は、煙示城の宿場にこもりきりで、作業場にはきていないとのことだった。

 一通りの話を、太拓から聞き出すのに、酷く時間がかかった。事実が明らかになっても、犀星と玲陽には、ただ、やり場のない嘆きだけが残された。

「どうする、陽? 今回のこと、少し厄介だ」

「そうですね。太在どのに傀儡がつきまとっているとして、その数は一体ではないでしょう」

「自害した女、原因不明で焼き殺された連中。まぁ、原因はあいつだろうけど」

「しっ! 兄様、ここ、煙示城ですよ」

「そうだな。聞かれるとまずい相手もいるか」

「本当に用心してください。兄様も涼景様も……」

「まぁ、今はそっちより、太在の周囲の傀儡がどの程度の力を持っているか、だな」

 犀星はいつもそうするように、玲陽の頭を抱えて、額を合わせた。

「判断はお前に任せる」

「このまま、放置していても、いずれ傀儡は太在どのを死へ追いやるでしょう。時間の問題です。ならば、私たちでどうにかするしかありません」

「そうする義理はない」

「義理はなくても、この子のために……」

 玲陽は、太拓の髪を撫でた。

「父を亡くし、体を痛め、この子に何の罪があったのか……」

「わかった。どうにかして、太在の花火とやらを復活させよう。そのためには、太在本人の協力が必要だ」

「自分では動けなくても、太拓どのも、知識はあるはずです。あとは、働き手がいれば、どうにか」

「ここに二人いる」

 怖いもの知らずの犀星の考えそうな結論は、ただ一つである。

 そしてなぜか、こういう時は、普段おとなしい玲陽まで、過激な行動に出るから、この二人は不思議である。

「やるか」

 犀星が、太拓が眠っているのを見ながら、ぼそりとつぶやいた。

「やりましょうか」

 玲陽も、静かに、そして、力強く答えた。
 

 歌仙親王自ら、玲陽の身を守るよう、煙示城の官吏に丁重に頼み込むと、犀星は太拓を連れて煙示城の繁華街へ出た。

 太在は、あてがわれた安宿で、何をするでもなく、床に座り込んだまま、うなだれていた。長年、火薬を扱ってきた者はみな、そこかしこに火傷の痕が残っており、すぐにそれとわかる。太在も、例にもれず、腕や頬にいくつかの皮膚の焼けた痕跡が見られた。

 犀星はふと、玲陽の左肩甲骨の下にある、深い焼き印を思い出した。ちょうど心臓の裏側に刻まれたその刻印は、異国の象形文字のような形をしており、彼はその意味を解読しようと、玲陽には隠して書き写してある。

「父ちゃん」

 少年は、ぼんやりとしか見えない目を、父親に向けて、手さぐりに近づくとすがりついた。

「何やってんだ。花火、作らな!」

 少年は父親を揺り動かしたが、すっかり気力が抜けたように、反応がない。

「太在。俺は、伯華という。縁あって、太拓と煙示城で知り合った」

 犀星は自分から太在の前にかがみこむと、話しかけた。

「燕涼景を知っているな? 彼は俺の友人だ。彼から、あなたは花火職人として優秀な腕を持っていると聞いた」

『噓ツキ!』

 鋭い声が、犀星の耳に飛び込んでくる。傀儡の声だとわかってはいるが、敢えて無視する。

「過ちは誰にでもある。大切なのは、その後、どう、変わるかだ。太拓のためにも、作業場に戻ってはくれないか」

『死ネ!』

「太拓は、あなたが手に入れられなかった天青石を手に入れようと、他の花火師の作業場に盗みに入った。この体で、どんな思いでそうしたか、考えてやってくれ」

「太拓……」

『人殺シ!』

「父ちゃん、ごめん。でも、天青色があれば、綺麗な紅色が出せるだろ。父ちゃんが得意だった、空に咲く赤い牡丹が作れるだろ」

「盗んだのか?」

「いや、相手が気づいて、石は返した。涼景もそれを知っている。その上で、太拓を許した。石が必要なら、俺が用意しよう。一門が皆離散し、人もいないと聞いている。俺と、俺の連れが手伝う。勿論、あなたの弟子たちのようには働けないだろうが、力になりたい」

 犀星が太在を説得している間も、繰り返し繰り返し、傀儡の恨み言は続いていた。女の声、男の声、複数の声だ。

 おそらく、自害したという奥方を始めとし、火災によって不審な死を遂げた者たちの想いが残っているのだろう。玲陽を連れて来なくてよかった、と、犀星は心から思った。玲陽の目には、この狭い部屋いっぱいに、どんな無残な姿の傀儡が見えるのか。想像するだけで鳥肌が立つ。

「動かねぇ」

 太在は、肩を落としたまま、言った。

「体が思うように動かねぇんだ。あんたの温情はありがてぇが、放っておいてくれ」

「このまま、参加しなければ、皇帝陛下はあなたを殺すだろう。それでもいいのか?」

「…………」

「あなたがいなくなったら、太拓はどうする? 誰を頼りに生きていけと言うんだ?」

「こいつをこんな体にしちまったのは、俺だ。もう、花火は作らねぇ」

「違う! 父ちゃんじゃねぇ! おいらが間違えたんだ! 父ちゃんは悪くねぇ!」

「馬鹿言うな!」

 太在が突然、大声と共に顔を上げた。

 ろくに眠ってもいないのだろう、廃人のように生気のない目をしている。

「間違ったのは俺だ! 俺が、お前に間違った指示を出しちまったんだ! お前はその通りにやっただけだ!」

 ぐわっ! と、声にならない声、音にならない音が、部屋中に満ちて、犀星は思わず両手で耳を塞いだ。塞いだところで、その音は直接頭の中に入ってくるのだから防ぎようはないのだが、本能的にそうすることしかできない。太拓には何も聞こえてはいない。太在も、じっと息子を見つめている。

 犀星は二人から顔を背けると、割れるように痛む音がおさまるのを、息を殺して待った。

 傀儡が荒れるとき、決まってこのような音と痛みが襲ってくる。玲陽に言われている通り、犀星は傀儡たちに同情はしない。それに加え、呪物の面纱も守ってくれる。自分が取り憑かれることはない。だが、一番危ないのは、太在だ。自責の念で弱った心に、傀儡は容易に入り込む。しかも、今、憎むべき相手が太在か太拓か、その答えが出た。

「太在!」

 犀星は痛みに耐えながら叫んだ。

「余計なことは考えるな! お前は悪くない!」

 傀儡の怒りが自分に向いたのを、無意識下で犀星は悟った。

 来る!

 見えない拳で殴られたように、犀星は胸を抑えてうずくまった。

「兄ちゃん、どうした?」

 見えない目で、犀星の異変に気づいて、太拓がこちらに顔を向けるのがわかる。

「拓、俺から離れるな!」

「でも、父ちゃんが……」

「!」

 犀星が必死に顔を上げると、部屋を出ていく太在の後ろ姿が見えた。しかし、その足取りはおぼつかず、酔っ払いか、寝ぼけているかのようだ。

「くそ…… やられたか」

 目の前にいながら、傀儡が太在に憑依するのを止められなかった。

 最も、それは玲陽であっても無理な話だ。自分達にできるのは、取り憑かれた相手から、吸い出すことだけだ。

 だが、問題は太在のこれからの行動だ。

 今の太在は、傀儡に操られた状態にある。傀儡の狙いは太在本人である。一思いに自害させるのか、それとも惨たらしい死を望むのか、どちらにせよ、本人だけではなく、周囲も巻き込まれる恐れがある

 犀星は痛む身体で、どうにか立ち上がると、太拓を連れて太在の後を追った。

 ちょうどその頃、一人、煙示城閣に残っていた玲陽の身にも、異変が起きていた。

 傀儡喰らいを繰り返すうちに、玲陽と犀星は魂の一部が結びついたかのように、同じ感覚を覚えることが増えてきている。二人の帰りを待って、椅子に腰掛けたまま窓の外を眺めていた玲陽は、不意に胸に強い衝撃を受けて、床に叩きつけられた。

 警護にあたっていた兵士が二人、驚いて駆け寄る。

 相手は、親王から直々に頼まれた臣子である。傷一つつけるわけにはいかない。

「どうなさいました!」

 慌てた兵士に、玲陽はすぐには返答できなかった。

 胸を踏み潰されたように息ができず、しばらく声が出ない。

「……火薬……」

 玲陽はようやく、その言葉を絞り出した。

「火薬、ですか?」

「花火師たちの分だけじゃない…… 煙示城の火薬全て……濡らして……」

「え?」

 兵士たちは顔を見合わせた。

「大変な……ことに……なります……」

「し、しかし、そのようなことは……」

「無理を承知で、言っています」

 玲陽は胸を抑えて起き上がった。

「でも、できるだけ、被害を……少なく……」

「何か、事故が起こると?」

「おそらく……」

 玲陽は不安そうに窓を振り返った。

 自分にこれだけの力が返ってきたと言うことは、犀星も無事ではないだろう。

 そして、ここまでのことができるとすれば、相手の傀儡は余程の怨念か、さもなくば、同じ目的を持った複数の集合体だ。

 果たして、自分に喰らい切れるか、わからない。

 もし、玲陽が飲み込めないほど巨大であるならば、宿主もろとも、涼景の寿魔刀で切り捨てる他ない。だが、おそらく宿主は太在だ。それは太拓から父を奪うことを意味する。

「涼景様は?」

 ようやく、痛みが引いてきた玲陽は、呼吸を整えて冷静を装った。

「将軍でしたら、間も無くお戻りになるかと」

「涼景様が戻られたら、すぐに私に取りついでください。緊急のお話があります」

「わかりました」

 兵士の一人が伝言を伝えに部屋を出ていく。

「星……無事でいてください」

 玲陽は窓辺に寄って、町へと通じる道に目を凝らした。

「あ!」

 兵士が急に小さく声を上げる。

「何か?」

 兵士は、振り返った玲陽の顔をじっと見つめ……じっと見つめ! おかしい!

 身分を考えれば、そのようなことをするはずがない。

 玲陽は咄嗟に部屋の隅に飛び退いた。

 兵士の刀が、寸前まで玲陽がいた空を切った。

「傀儡!」

『邪魔ハ サセナイ』

 兵士に罪はない。だが、このままでは……

 玲陽は懐を探った。

 巾着に入れた、犀星の髪を探りあてる。何かあった場合に備えて、煙示城の町に行く前、犀星が預けてくれたものだ。

 だが、傀儡喰らいをするより先に、相手の刀を封じなければならない。

 玲陽は覚悟を決めて刀を抜いた。

 稽古以外で刀を振るうことは滅多にない。しかも、いつもなら背中を預けられる犀星や涼景もいない。相手は訓練を積んだ兵士であり、単なる荒くれの盗賊ではない……

 不利な条件ばかりが、玲陽の思考に溢れかえる。

 それでも、できる限り、犠牲を少なく、悲しむ人を減らすこと。それが、自分の望み。

限りあり

知りつつ願う

果てなきを

その懐の

温もりを追い

(光理)

 

 一度失った命は帰らない。永遠に続かないことはわかっていようとも、救える命は救いたい。その命につながる、誰かの安らぎと幸福のために。

 犀星の温もりを手放した日から、光理は、共にいることの尊さを思い知っている。

 誰よりも、誰よりも愛しい人を追い求め、ただそれだけに命をかけたことを。

 そのためだけに、生きられた時間を。

 あの太拓という少年を救いたい。傷ついた彼には、父より他に、頼る者はいないのだ。

​ 玲陽の表情が、戦う者のそれに変わる。専門ではないにせよ、彼もまた、犀遠に教えを受けた剣士である。

 狭い室内に、鋭く風を斬る音が響く。

 玲陽の刀はその身に不釣り合いなほど、重量がある。単純に腕力では犀星たちに劣るものの、逆に身軽さをいかして、太刀の重さをも味方につけるのが、彼の戦い方だった。だが、部屋の中ではその長さや動きの大きさが不利になる。それに加え、今は相手を倒すことが目的ではない。気を失わせるか、動きを封じればそれでいい。

「誰か!」

 太刀の峰で相手の攻撃を受けつつ、玲陽は大声を発した。

​ 煙示城閣には多くの火薬番や兵士が詰めているはずだ。近くに誰もいないというこ​とはないのだが……

 正確な兵士の太刀がなぎ払われ、玲陽の髪が数本宙を舞った。この閉鎖された空間では、明らかに自分の戦法の方が不利である。

 玲陽は窓枠を一気に飛び越えると、煙示城の駐屯場へ駆け出した。

 ここなら、他人の目もあるだろうし、何より、戦いやすい。人を探しながら、玲陽は兵士と距離をとった。

 だが、奇妙なことに、周りに人の気配がない。代わりに、うっすらと霧の様に傀儡の気配が満ちている。

 深く、濃いものではないので、人物は特定できない。しかし、同様の目的や未練によって集まった魂の集合体が、ある一定値を超えた時、人一人と同等の力を発揮する。

 この煙示城では、度々、事故があったと聞く。彼らの思念が残っていたとしてもおかしくはない。また、太在の一門に関わった者の中には、生きるすべを無くし、命を絶った者もいるらしい。

 花火師は、卓越した技術が必要とは言え、死や怪我と隣り合わせの危険な仕事だ。職業の中でも、決して身分のある者がつくものではない。だいたいは世襲制で、やむを得ず、あと目を継ぐことも多い。

 今回の太在の失態で、生きる糧を絶たれた者たちが加わっていたとしたら……

 玲陽はゾッとした。

 煙示城の歴代の事故で亡くなった者の思念、被害を受けた奥方の無念、その主人の怨念、策略によって焼き殺された家人達、太在一門の悲しみ……それら全てが、敵だとしたら……

「誰か!」

 玲陽は、再び叫んだが、やはり助けがくる様子はない。彼も、覚悟を決めた。

 実戦に慣れない自分は、手加減などできない。

「申し訳ありません。恨まないで!」

​ 今まで、防御に徹していた玲陽が、構えを取る。一人で戦う覚悟を決めた、犀遠直々の一沙流の攻勢の構えだ。

 訓練され、更に何者かの傀儡に操られ、肉体の限界を超えて刀を振るってくる相手に、並の剣士は太刀打ちできない。だが、一時期は生死の境を彷徨ったとはいえ、玲陽は生まれついての敏腕である。それも、犀遠という最良の師があり、犀星という最良の好敵手がいた。三つ子の魂、というもので、幼い頃から叩き込まれた剣術は、血の滲む努力によって開花している。

 相手の刀をいなし、鍛えた体幹を軸として無駄のない動きと共に確実に打ち合いを制していく。これが普通の人間相手ならば、玲陽の一方的な強さの前に、勝敗は容易に決しただろう。

 しかし、相手は疲れを知らぬ傀儡である。長引けば、兵士の肉体の方が物理的に耐えきれなくなり、相当な痛手を残してしまう。玲陽は助けが期待できないことを覚悟すると、自分に有利な距離を取った。

「行きます!」

 踏み込むかと思いきや、剣を軸にして跳ね上がり、柄の上に逆立ちになると、そこから遠心力で体を振って着地すると同時に、大刀を兵士に叩きつける。狙い違わず、庇おうとして持ち上げた兵士の刀を粉砕し、勢いでその身体を吹き飛ばす。一歩間違えば、頭から体を両断される威力があるが、そこは玲陽のこと、相手を傷つけることは避けるよう、絶妙に距離を測っている。

 兵士に衝撃が残っている間に、玲陽は兵士に駆け寄ると、躊躇なく、唇を合わせて奥深くへ舌を伸ばした。

 同時に吸魂の呪文を唱え、懐から、犀星の髪のカケラを取り出す。幸い、兵士に宿っていたのは、煙示城の稽古中に事故死した者の傀儡で、それも力の弱い者がより集まって形をなした下級のものであった。

 周囲に人がいないことが、こういう場合は幸いする。誰に見られることもなく、玲陽は兵士に憑いていた魂魄を飲み込むと、犀星の髪を祈るように見つめ、喉に通した。

 下級とはいえ、その場に倒れ込んでしばらくは動けない。

 正気づいた兵士が、倒れている玲陽を見て、慌てふためいたことは言うまでもない。

 二人とも刀を抜いている上、自分のものは真ん中から粉々に砕かれている。何となく、玲陽の重たい一撃の余韻が腕に残っていた。

「臣子様! 一体何が……」

「涼景様を!」

 助けを求めるように、玲陽は訴えた。

「意識のある兵士や火薬番を、ここに集めてください。そして、何より先に涼景様を……」

「陽!」

 急速に馬の足音が近づき、鞍から飛び降りた涼景が転がるように玲陽を抱きしめた。

「おい! 何があった!」

「おそらく、花火師や、煙示城閣の多くの兵士が、傀儡に支配されています」

「そんなに多く!」

「訳を説明している暇はありません。彼らを操っている司令役がいるはずです。それは、おそらく、太在どのに憑いている」

「簡単な話は俺も知っている。太在が不始末をしたという家の奥方か?」

「おそらく。そして、その後の重なる火災や事故、太在一門の離散に人生を狂わされた者たちの魂魄が、ここに……」

「奥方が、そいつらを操って何かしようとしているんだな?」

「予想ですが」

「太在なら、さっき、作業場へ入っていくのを見た。犀星と太拓も一緒だった」

「駄目です! 誰も、火薬に触れさせてはいけない! 想像してください。花火師全員協力して、煙示城の町を焼き払おうとしたら、簡単にできてしまうんですよ」

「とにかく、まずは太在を止める、それでいいな」

 涼景にすがりついて、玲陽はうめいた。

「私を星のそばに…」

 精一杯の力を使ったのだろう、玲陽はそれ以上、言葉が続かなかった。

 涼景は呆然としている兵士に、自分の直属の部下をすぐに太在の区画に集めるよう、指示を出し、玲陽を抱えて馬上に上がった。

「しっかり捕まっていろ」

「寿魔刀は?」

「肌身離さず持っている」

「もしもの時は……」

「わかっている。俺は迷いも躊躇いもしない。お前たちを守る」

 なんて真っ直ぐな人だろう。

 玲陽は​浄化の苦痛に体内を焼かれながら、自分が涼景にどれだけ救われているか、感謝せずにはいられなかった。そして、心のどこかで、この人になら、この世界を救えるのではないかという、一筋の希望が見えてくる。それはかつて、犀遠が涼景に託した想いに、重なるものだったのかもしれない。

「太在?」

 その様子を見守りながら、犀星は細心の注意を払っていた。

 太在は他の花火師同様、初めの手順から、黙々と火薬の調合を始めている。

 だが、一言も発しはしない。太拓の呼びかけにも答えない。

 傀儡に取り憑かれているのは明らかだ。と、なれば、傀儡たちの意図が問われる。単に太在を殺すだけなら、刃物で体を傷つければ済むことだ。奥方同様、首を吊ることだって可能だ。だが、どうやら傀儡は火薬にこだわっているらしい。自爆させるつもりなのか、それとも焼死か、または、太拓が負った様に、苦しむ傷を与えようというのか。

 花火作りに興味などなかった犀星には、今、太在がしていることの意味がわからない。太拓に説明を求めたが、花火の基本となる練り火薬を作っているだけだ、という返答が返ってきた。ここまでは、花火作りで変わった様子はないらしい。

「そうだ……」

 犀星は、太在と隣接する、公山の区画に向かった。

 彼なら、太在が何を作ろうとしているのか、わかるはずだ。

 自分の正体を明かさずとも、涼景の知人であることを覚えていれば、話くらいは聞いてくれるかもしれない。

「公山!」

 こちらに背を向けて、数人の弟子と作業をしていた公山に、犀星は声をかけた。

「忙しいところ、すまない。太在の様子がおかしいんだ。何か危険なことをしていないか、様子を見てくれないか?」

 公山と弟子たちは手を止めると、面倒そうに振り返った。その表情を見た途端、犀星は後退った。

 傀儡が取り憑いた人間は、犀星にも見分けることができる。

 だが、自分には、陽のように傀儡を抜き取ることもできなければ、寿魔刀もない。怪力を発揮する傀儡憑きを相手に、どこまでやれるか…… 更に良くないことに、他の区画の花火師たちも、同じ目でこちらを見ている。

「拓! 煙示城へ逃げろ!」

 犀星は叫ぶと同時に太拓を探した。少年は声をしたこちらを振り返っていたが、太在のすぐ側だ。

「!」

 後頭部に強烈な打撃を食らって、犀星は埃のたつ地面に転がった。頭を抑える手に、ぬるりとした血の感触がある。

 どうにか目を向けると、公山が区画分けの棒を手にしていた。先端から滴っているのは自分の血だろう。

 立ち上がることができず、犀星は体を引きずって逃げようとしたが、死は目前にあった。

『妻ノ邪魔ハ サセナイ』

「主人の方か…… では、ここにいるのは……」

 それぞれの区画から出てきた花火師たちは、一様に取り憑かれた状態だ。しかも、皆、その手には導火線の先端を持っている。その先がどこに通じているのかはわからないが、煙示城閣か、最悪、繁華街の可能性もある。煙示城閣には備蓄された火薬が大量にある。また、この時期とあって、繁華街には庶民用の手持ちの爆竹や花火を売る出店も軒を連ねている。どちらにせよ、大惨事は免れない。この、花火師たちの区画だけだったとしても、国中の名と腕のある人々が巻き込まれる。

 被害者の数は想像を超える。

 取り憑かれた花火師たちが、一人、また一人、と、公山に導火線を渡して戻っていく。それを見ながら、犀星は太在の区画の方へと這っていった。

「陽……逃げろ……」

 視界がかすみ、徐々に気が遠くなっていく。

 どれくらい時間が経ったのだろう。自分の周りを、何人もの人間が歩き回る気配がある。

 ここにいる全員が取り憑かれているとしたら、もう、止められない。

 こんな時に、犀星の目に悔し涙が溢れた。

 彼にはわかっている。何があろうと、玲陽も涼景も、自分を見捨てないだろう。

 だが、それはすなわち、二人を危険に、死に晒すことになる。

 だというのに、自分には何もできない。

 せめて……

「拓……逃げろ」

 犀星は声を振り絞ったが、聞こえるとも思えないほど、かすかな声しか出せなかった。それを最後に、彼は完全に気を失った。

 生きた、足音がする。生きた人間の声がする。

 誰かが、指示を出している。聞き覚えのある、安心できるこの声は……

「星! わかるか! 俺だ!」

「りょ……」

「ああ」

「だめだ……火……火薬……」

「わかっている」

 力強い腕が、自分を抱え上げるのを感じる。

 犀星はどうにか目を開いた。紅色の甲冑をまとった涼景直属の部隊の兵士が数人がかりで太在を抑え込んでいる。その脇には、すっかり怯えた太拓がいる。

『!!!』

 悲鳴なのか、雄叫びなのか、凄まじい絶叫が犀星の傷に響く。だが、それ以上に苦しんでいるのは、太在の口から吸い出した傀儡を己に取り込む玲陽だった。のたうち回る玲陽を、やはり、涼景の部下が押さえているが、それ以上できることはない。未曾有の量の傀儡が、太在から玲陽の体に取り込まれ、玲陽は完全に息を塞がれた。その苦しみは、計り知れない。

「星、陽を!」

 涼景は衆目など構わず、犀星と玲陽を抱き合わせた。犀星は玲陽の服を弄り、自分の髪を探り当てた。それを飲ませ、額の刺青を合わせて、力を送る。玲陽も、犀星を感じていくぶん、落ち着いたようだ。

 彼らが、自らのするべきことを認識したことを確かめて、涼景は二人の側を離れると、散っていた部下たちに指示を飛ばす。

 だが、如何せん、数が多い。傀儡憑きを一人抑えるのに、二人から三人の兵士が必要だ。涼景の部下だけではとても足りない。中でも、公山は誰も歯がたたず、逆にこちらに被害が出ている。

 夕闇が迫り、視界も良くない。かといって、火をともせば、周囲には飛び散った火薬に引火する恐れがある。万が一、公山が手にしている束ねられた大元の導火線に火がつけば全てが終わる。

 涼景が離れた隙に、公山が腰の箱に隠し持っていた種火を取り出す。

「涼景!」

 視界の隅でそれを見た犀星が叫ぶ。

 涼景が馬を取って返すより早く、すべての爆薬につながる大元の導火線に火がつけられる。

 火のくすぶる導火線を遠くへ放り投げ、公山は犀星に近づいてくる。

 その時、誰よりも素早く動いた者がいた。太拓である。

 太拓は生まれついての花火師の子だ。匂いですぐに火の位置がわかる。

「拓!」

 犀星が叫んだが、その声に少年は止まらない。

『妻ニ 手ヲ 出スナ!』

 公山にとりついた主人の傀儡が、手にしていた杭で、玲陽めがけて殴りかかる。迷わず犀星は玲陽を抱えたまま、自分の体を打たせた。

 したたか、頭を殴られ、気が遠くなる。そこへ、背中にもう一撃が浴びせられる。

 犀星の体を伝って、玲陽にもなにが起きているのかがわかる。

「やめてぇ!」

 自分自身も、傀儡浄化の内側からの痛み苦しみに耐えながら、玲陽が悲鳴をあげた。犀星は、血を流しても、骨を砕かれても、自分の盾となって庇ってくれる。だが、それは玲陽にとって犀星を失う恐怖そのものであり、彼は狂ったようにもがいた。

 操られた公山が、確実にとどめをさすために、横殴りに犀星の頭部を狙い、棒を振りかぶった。

 が、一瞬早く、駆け付けた涼景が公山の首を寿魔刀で斬り落とす。

 犀星には、致命傷の一撃ではなく、主人の傀儡の断末魔が降り注いだ。

「涼景、拓を止めろ!」

 苦しい息の下から、犀星が叫ぶ。

 振り返った涼景の目に、導火線の束に飛びつく拓の背中と、同時に燃え上がる体が映った。目の悪い太拓には、どこに水があるのかさえわからない。自分の体と地面との間に炎を挟んで、体で火を消す気だ。しかし、その火薬の仕掛けを作ったのは、操られているとはいえ、腕のある花火職人や、煙示城の火薬番である。少年ひとりでどうにかできるものではなかった。

「導火線を切れ!」

 取り憑かれていない涼景直属の部隊が、指示より早くすでに動いている。常に将軍の戦術を理解して行動してくれる頼もしい者たちだ。彼らの働きもあって、そこかしこを這っていた導火線が切断されていく。

 涼景は公山の体が黒い霧となって消えたことを確認してから、自分は太拓のもとに走った。少年の命がけのはたらきで、多くの導火線の火が消し止められ、どうにか、大惨事はまぬがれたかに見える。

「水!」

 涼景の指示と同時に、彼の部下のひとりが、太拓に桶の水を浴びせかけた。腹部を中心に、無残に火ぶくれを起こしている。涼景は太拓を抱えると、井戸へ向かった。部下たちと共に、立て続けに冷水を浴びせ、患部を冷やす。本人に、すでに意識はない。

「太拓!」

 涼景は桶を部下に任せると、必死に呼びかけた。呼吸がない。心音もない。

 水が浴びせられる中、自分もずぶぬれになりながら、心臓圧迫と人工呼吸とを繰り返す。

 浴びた水のためにさだかではなかったが、涼景の頬には塩辛い涙が流れていたようにも見えた。

  ・

 煙示城閣の裏側に、天然の巨石群がある。

 玲陽は一人、その石の中でも、一番高い所に座って、ぼんやりと下を眺めていた。

 あの混乱の中、自分は力を制御できなかった。本来であれば、傀儡だけを飲み込むつもりが、太在の魂まで、喰らってしまった。正確には、すでに傀儡と一体化しており、それだけを分けることはできなかった。

 そして、太拓もまた、涼景の手当虚しく、あのまま命を落とした。

 二人の亡骸は、今、玲陽が見つめる地面の下に埋められた。

 あれから一月。

 核となっていた奥方の魂を玲陽が浄化したことで、他の傀儡は形を止める力を失い、霧のようにまた、煙示城を漂い始めた。

 公山は、親王の命を狙った罪で涼景が断罪、太在親子は死亡し、夏の祭りは一気に血生臭いものへと変わってしまった。

 それでも、宮廷は何も変わらない。

 玲陽の胸には、悲しみよりも、静かな怒りが渦巻いていた。

「やっぱり、ここにいた」

 犀星が、岩をよじ登って、自分の隣にぴたりと座る。

 暮れていく西の空に現れた一番星のように、いつも自分のそばにいてくれる。

 玲陽は、黙って犀星にもたれかかった。

 その肩をそっと抱き寄せて、犀星は頬に口付ける。

 二人の背後で、打ち上げ花火の音が鳴り始めたが、二人は決してそちらを振り返らなかった。

 お前たちがいなかったら、大変なことになっていた。

 後に、涼景はそう、報告してきた。

 彼らは煙示城の繁華街まで、導火線と火薬とで仕掛けを組んでいたらしい。犀星たちが訪れる何日も前から、徐々に傀儡はこの場所を支配していたのだろう。

 それを聞いても、二人の心は晴れなかった。

「私はもう」

 玲陽は、震える声で犀星の胸に顔を押し当てた。

「花火なんか、見たくないです」

「ああ。俺もごめんだ」

 打ち上げ花火の音は、一つ一つが散っていった魂への鎮魂。

 けれど、祭りが終わっても、この地に残された傀儡の霧が晴れることはないだろう。

 玲陽はそっと、犀星の背中を撫でた。自分を庇って、彼は左肩と肋骨を二本を骨折した。幸い、命に別状はなかったが、今でも時々痛むようだ。

「もう、あんなこと、やめてください」

「わかったって」

 玲陽を抱く腕に力を込めて、犀星は軽く揺すった。

「そう、何度も言うな。思い出すとまた痛くなる」

「言いますよ。私がどんな思いだったか……」

 犀星は面纱をよけて、玲陽の唇に自分の唇を重ねた。ただ、触れるだけの口づけ。

 花火の音が止んでも、二人は離れなかった。

 周囲に静けさが戻り、火薬の匂いが遠のいていく。

 ふっと、風が動いた。

 二人は同時気配を察して目を開くと、周囲を見回した。

「……蛍?」

 玲陽が、呟く。

「いや」

 犀星は目を細めた。

「あの親子だ……」

 青白く、透き通る光が、岩の間に、幾つも、ふわり、ひらり、と、太親子の眠る地面から立ち上る。

 人の死体から、炎が生まれることがあるという。

 それを恐れる者もいるが、二人には、清く優しい光に思われた。

「兄様、周囲の傀儡たちが……消えていきます」

 玲陽は、その初めての光景を見ながら、光に導かれるように目を上げた。

 そこには、流れる風が清めた美しい星空が広がっている。

「ここにたゆたう悲しみも苦しみも、一緒に連れていってあげて」

 玲陽は、寂しそうにつぶやいた。

「綺麗」

 犀星は玲陽の言葉を聞きながら、両腕でしっかりと彼を抱きしめた。

「兄様?」

 

見上げしは

夜空の蛍

満天に

君が姿を

一人求めん

(​伯華)

……俺には、お前が生きている姿が、一番美しい」

「何を急に……」

 玲陽が目を転じれば、息のかかる距離に、自分を見つめる碧玉の瞳。

 それ以上、玲陽は何も言えなかった。ただ、どんな空の星より、彼だけの、たった一つの星を愛する熱い想いだけが溢れてくる。

​ 夏の夜の、命の蛍が舞う中で、互いの命を確かめ合う二人を、静かに蛍の光が見守っていた。

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